土木や都市環境を設計する<アトリエ>をつくりたい。

土木や都市設計の分野に、人間のためのきめ細かいディテール・デザインを持ち込みたい。「工房」のようなかたちで、実際にモノを造るプロセスに浸かりながら、人間の生きる手応えのある空間を創造する、そんな設計集団を組織したい。そんな思いから小野寺康都市設計事務所は設立されました。 個々人の自由と多様性の上に成り立っていく、これからの都市計画・設計には、全体の中に個々を落とし込んでいく、いわゆるマスタープラン型のビルディングプロセスだけでは十分とはいえません。個々の幸福の先に全体の幸せを見る社会づくり、そんな公共施設づくりが求められていく。そう思われます。

都市は快適でなければなりません。

建築家 L.カーンは、建築は人々に喜び-joy-を与えなければならない、と語りましたが、建築に限らず、空間を創造する者が掲げる理念として、これ以上簡明な理念はないでしょう。しかし実際の空間づくりには、経済性や文化性、社会性、歴史性、国家の論理・地域の論理ばかりでなく、人間の持つ理念や情念・欲望、あらゆるものがファクターとなります。公共空間の場合、その建設プロセスにおいて意思決定者が一人に限らず、結局関係者間の調整の中で、いつのまにか本来の理念が見失われ、ただモノを造ることが目的になっていく――いまの日本の都市景観はそのような状況を反映しているように思えます。

人間の生きられる都市空間づくりには、本来どのような方法論がふさわしいのか。

全体から部分への一方通行の方法論だけでは不十分です。 都市と人間の生活を考えるとき、もっと直接的な部分を基準にしてはどうか。 つまり実際につくる、という部分。従来の方法論とは逆に、設計を基準にしながらマスタープラン(全体計画)を考える発想があっていい――そんな思いがあります。都市計画を頭から否定はしません。しかし理念をシンプルに実現するにはプロセスも明快なほうがいい。計画事務所でもなく研究所でもない、「都市設計事務所」という名称はこんな意識からつけました。

「設計」は「デザイン」という言葉に置き換えられます。

ここでいうデザインとは、 単に表層の意匠をいうのでなく、総合的なビルディング・プロセスとしての計画・設計行為を指しており、形を決定する行為全般を意味します。機能性、合理性、経済性と快適性や美意識を、同じレベルで、同時に考えるというスタンスです。 「形」は重要です。しかし「形」が、重要なのではありません。その奥に息づく空間のコンセプト、それが社会に働きかける「意味」こそが重要です。

物質(モノ)ではなく「質」が問われる時代。日本に「景観」という言葉がやっと定着しつつあるようです。人間が生活する質的な豊かさや、文化を基準に考える時代が始まっています。 それを実践していくこと、そのためにデザインに責任を取っていくこと――小野寺康都市設計事務所は、そんな理想を実践するチームでありたいと思っています。そこに日本の空間文化の新たなヴィジョンがある。そう信じています。

小野寺康都市設計事務所

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